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孫の祝

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長男夫婦の2子が生まれてのお宮参りと、長女夫婦の二男と長女の七五三の祝に、家内と東京の郊外まで10~12日と出かけて参りました。

長男夫婦のお宮参りの予定が土曜日午前10時を予定していて、それまでに住まいにたどり着くには、夜行バスがいいと、金曜の夜11時30分発のバスを予約。

駅前から新宿駅南、ディズニーランド行きの夜行バスが当市でも運行されるようになり、末娘が2800円とリーズナブルな運賃で度々利用している。

どんなものかの興味も有り、数日前に電話すると4席空きがあるという。

料金は5400円との事、2800円じゃないの?と聞くと、連休前はその料金になるのだそうだ。

なるほどネー、需要が見込めるときは席料が上がる訳か、上手く出来ている。それでも新幹線の半額。

当市駅前から乗るのは10人程度だが、県内数か所に停まれば満席である。約8割が若い女性客で、東京へも小遣い銭で気軽に行ける事が魅力か。途中20分程度の休憩が3か所有り、予定通り朝6:15分新宿駅南口近くの停車場に着く。

家内は眠れなかったと、私も疲れがとれた訳でもないが、家内の言うのには貴方「いびきをかいていたわヨ」と。

息子の家には朝食を済ませ8時前には到着。9時頃には嫁さんの御両親が車で到着。挨拶やら、みやげ話を済ませ、白幡八幡大神へ出発。

お宮参りに七五三と境内は込み合っている。無事御払いを済ませ、こんどは子供写真館スタジオ・ア〇〇へ。

全員揃った写真はもちろんだが、若夫婦家族だけ、子供の写真も着るものやバックを変え変えで何ポーズも撮影、それから写真選びが始まる訳で、結構時間もかかる。まっている間、眠くなってしまいました。

その後は、とうふうかいで会食です。聞く所によると、建物は飛騨高山から移築したとの事。庭も立派で素敵なとうふ料理を頂いて参りました。

息子夫婦と御両親とは、ここでお別れ。電車を乗り継ぎ娘夫婦宅へ向かいます。

そのお話はいずれまたの機会に。


同期会の顔

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友人の中には、結構こまめに段取る方が居て、去年の暮れと、今年の春、今月と有志による高校時代の同期生の集まりを企てる。

最初は同期のある方が当店を訪ね、そこへたまたま又別の同期が訪れて、「イヤ~懐かしい」と話がはずむ。

そこで知り合いに声を掛け合って、たまには飲まないかと、数人の集まりから始まって、今回は18人だが徐々に人数が増えている。

これには訳があり、今回の会場は、同期の娘さんが嫁いだ中華料理店“満幅”で、満席で18席。ここでの営業が、同期会当日で終了して他の場所に移るとの話で、新しいお店が何人、入るか分からないからと。

最初は参加すると楽しみにしていたメンバーも、のっぴきならぬ事情で不参加を伝えて来るのもいて、幹事役は一人減れば、また新たな人選に声をかけるやり方を繰り返す。

結局、幹事役を含め24名の名簿が作成され、参加者18名の満員御礼。

私は会場まで歩いて行ったが、店に入れば、そんなに言葉を交わした事は無いのだが、どこか見た事のある顔ぶれ。

同年代の安心感があるのか、波長が合うのか、同じ田んぼの中の、稲の切り株の様に、席に整然と並んでいる。

料理を運んでくる嫁さんを相手に「親に似ないで良かったナー」の声が、あるテーブル席からあがる。なるほどと、各テーブル席からも似たような声でドット盛り上がる。話にアルコールに華が咲く。

    

嫁さんに聞けば、まだまだここでの営業はしばらく続くのだそうだ。料理も10品ほど出て、アッという間の3時間でした。最後は皆穏やかな笑顔で記念撮影。

来年は母校創立120周年、それに合わせ同期会も盛大にと、皆さんには世話役になってもらい、各クラスへのお声かけを願いたいの挨拶。

中学、高校と同期で、「今回は出られない」と、クラス会の案内を出しても、「今度やる時は楽しみにしている」の返答が返って来るのだが、出た事が無い御仁が居る。

1~2度ご一緒した事はあるのだがそれは昔の話で最近はとんとない。何か奥様がガンで闘病生活とか・・・。

自分だけ騒いでもの気が引けるのか?見かけて声をかけても素っ気もない。

そんな中、昨日の地元新聞に半期に一度、特に優れた作品を決める「第134回日報歌俳壇賞決まる」の見出し。その中の“受賞のことば”に、彼の奥さんのコメントが寄せられていた。

“闘病を公にする決意で”

自宅を経由してがんセンターに届いた大きな茶封筒。「はて?」と思って開けてみると、何と日報俳壇賞受賞のしらせでした。びっくりするやら嬉しいやらで、一気にがんが吹きとんだように思えました。

何ヶ月にもわたる入院生活。抗がん剤の点滴、輸血の他は、有り余る時間。ベットの上でも俳句ならできると思い、歳時記と向き合いました。

闘病の句がもし載れば自分の病気をさらけ出すことになると悩みましたが、今でしかできない句だと考え、投句しました。

俳人中村汀女の弟子だった母の影響で15歳から始めた俳句。続けてきて本当によかったと思います。

これからは、自作の句を短冊や色紙に書きたいです。元気になったら再び村上市に通い、書を学びたいと思っています。(引用)

〈入賞〉

洗ふ髪 なき闘病の 髪洗ふ

 

この方の句は新聞紙面で何度か拝見したことがある。

我々の年代は同期と言えども、すでにあの世の風となる友もいる。

幸いにも来年もつつがなく、あの田んぼの稲の、切り株の様でも日に当たり、土の匂いを嗅ぎつつも、季節の流れを感じて、青春の青空を思いつつ、願わくば、また友と一献傾けたいと思うので有ります。

秋の気配

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暑さも過ぎれば、もはや秋の気配が真っ盛りの中に居る。
秋は気候も良く、様々なものに挑戦しやすい季節と言われ、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋、行楽の秋などと表され、例を上げれば切りが無い。

食欲の秋とは、一番食べ物が豊富で、冬に備え脂肪を蓄え備えるとか、スポーツの秋とは、東京オリンピックがきっかけだそうで、秋は元々身体を動かすのに、日本では最適な気温なことからだが、不思議な事に、最近のオリンピックは真夏にやっている?欧米のスポーツの閑散期に、TV放映すれば、スポンサーが集まり、他のスポーツとダブらず放映でき、放映権料が高く売れるからだと云う。

炎天下のもと、選手が日射病になっても良いなどと、日本人は考えないのだが、今のIOCは金儲けだけか?

読書の秋とは、気温が同じ18度前後になる春から夏にかけては、梅雨の季節と重なって蒸してしまう。しかし、秋はあまり湿度が高くないため集中して本が読める。

芸術の秋といわれる由縁は、集中して物事に取り組むのに最適な季節だからと言われています。美術の公募展が秋に集中しているという説も、関連する芸術イベントも、秋に多く開催される。

東京での孫の祝も終わり、帰りしな家内と東京都美術館に寄り、「印象派」という呼称の由来となった、クロード・モネの展覧会を見て参りました。

午後4時過ぎに上野駅公園口の、臨時モネ展、入場券売り場に立ち寄れば、只今入館30分待ちの表示がされている。

写実と如何違うのか?本物を見るのに今しかないと、初めて東京都美術館へ。

5時30分までの観覧だが、館内は入場待ちの人々でいっぱいです。

数多くの作品が展示されているものの、やはり印象にのこる作品は、「日の出」「睡蓮」次男ミシェルの肖像、浮世絵の影響を受けた「小舟」とやや限られる。

晩年は、目の手術をするのだが、日本の太鼓橋をモチーフにした、より前衛的な作品が、色合いを変え、複数飾られている。

それらは、人ごみで落ち着いて見る訳にもゆかぬが、昨日のTVのニュースで、入場者数30万人目という人がインタビューを受けていた。

行楽の秋とは、秋とは楽しい事がたくさんあるので、必然的に行楽の秋になったと考えるのが自然かも知れません。

孫たちの祝に、それぞれ我が子の家を訪ねれば、娘宅は次男、長女が七五三の祝を迎え、あちらのお父様も訪ねて来られ、久々の御挨拶。

今回も黒茶屋でもてなしを受け、長男は小学2年で野球チームのユニフォームを着た練習ぶりを、初めて見て来たのだが、私には最初に訪ねた黒茶屋の思い出から、早7年の時が過ぎたとは思えず、アッと云う間の出来事で、時間が止まったままに有る。

 この所、宴席が我が家にしてみれば続いていて、月初めの親戚の結婚式に、孫のお宮参りのお祝いの席、七五三のお祝いの席、高校時代の同期の集まり、一昨日は、家内は何年ぶりかの、高校時代の同級会に月岡温泉まで出かけて行った。

家内の言うのには宴席は「バランス良く時間をおいて、適度に有れば良いのにネー」と言う事なのだが、家内の場合は、又来週、城下町食探訪、当地を代表する各店の料理人が腕によりをかけて、会席料理を造り上げる、今年の至福のイベント『味の饗宴』に、地域の婦人会の面々と出かけて行く。

実は、秋は毎年、小旅行を企画しているのだが、皆さん忙しく、なかなか旅行まで時間が取れないと云う人が多く、幹事役の家内の発案で、婦人会からの補助も有り、今回はチョとリッチな食事会となった。

この催しが始まった頃は、商店街の有志に誘われて、私も数度、訪れた事は有りましたが、残念ながら商店街の今の厳しい現状では、何処からもお声は御座いません。

婦人会で出かける家内がうらやまし~ので御座います。

 

味の饗宴

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今年は、我が家の柿が、通年よりも多く実った。収穫するのも日をおいて少しずつだったが、先日皆捥ぎおいた。、昔は柿には余り興味が無く、熟したものが鳥の餌になるか程度で振り向きもしなかったのだが、孫の美味しいの一言で、身体が動かされている。

 

家内も大変で、さわしたり、干し柿にしたり、「柿いる?」と、近所の方へ声をかけている。

別に肥料も何もやらないのだが、今年は気候が良いのか、何処も柿が豊作の様で、我が家にも「柿いる?」と知り合いから声が掛かる。

さて、食欲の秋といえば、当市を代表する老舗料理店と割烹の9店が、地場産の共通食材で味と技を競う「あやめ城下町おごっつおう祭り」が、10月1~31日に開かれた。

新聞チラシを見れば“旬の食材と料理の技”を味わう新発田の秋開幕!とある。

各店の料理の写真が夜の花嫁御前(5500円)、昼の花嫁弁当(2700円)と並ぶのだが、どれを見ても素晴らしい。

今年の共通食材は´柳かれい`各店が共通食材をどう料理したか料理の説明の中に、その部分は赤字で表されていて、私達にどう食させるのか?料理人のこだわり、アイディアが満載だ。

こんな料理を食せる方はウラヤマシ~かぎりだが、何と!昨日(2日)の夜、第12回おごっつおう祭りのフィナーレを飾る、食探訪「味の饗宴」に、地域交流センターへ出かけて参りました。

実は、婦人会のメンバーのお一人が当日キャンセルになり、「貴方行かない?」とチケットが廻ってきた訳で、婦人会は補助があるのだが、私は6500円自腹で御座います。

おごっつおう祭り参加店が、先付けからデザートまで焼き物は何処何処の店、煮物は何処何処と、参加各店が一品ずつ担当し、料理人が一堂に会し会席料理を提供する「味の饗宴」を行い、城下町の“おいしい秋”を締めくくるという寸法。

食探訪実行委員会の企てだが、この繰り返しが料理人に切磋琢磨の向上を呼び、食文化の継承につながって行くのだろう。

今回は柳かれいではなく、特別料理として、とらふぐの薄造り、ヒレ酒が付く。

ヒレ酒の、お変わりないが楽しんで頂きたいと挨拶があったが、車で来られた隣席のお客様やら、婦人会のメンバーから、これどうぞとヒレ酒の酒器が私の前に並ぶ。

テーブルには地元酒蔵のお酒やらビールがズラリと並んでいるのだが、おかげさまで香ばしい味わいを堪能して参りました。

丁寧な日本料理が次から次と運ばれて、椀物のが美味しいねと隣近所から声が上がっている。

お品書きには、叩き海老小鯛茶巾蒸し清まし仕立て いんげん豆 揚げ栗麩 柚子 とある。

具材の食感が十分な歯ごたえがありスバラシイデス。

毎年先着100名様かぎりで、10年ぶりの参加だったが、思わぬ人との出会いも有り、あのはつらつとした各店の2代目3代目も10歳、歳を取れば熟練の顔形に。

地酒や、お食事券、各店オリジナル商品の当たるお楽しみ抽選会は、地元だけでなく、近県からの来場者にも多く当たりが出て、このお祭りが県外にも評判を呼んでいることが感じられた。

 

新発田藩を大河ドラマに!!

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新政府軍の最大の標的は徳川慶喜であった。ところが慶喜は、鳥羽伏見の戦いで薩長軍に錦旗が翻ると途端に戦意を喪失し、大阪城に詰めていた大勢の兵を置き去りにして、ごく僅かな供回りを連れ江戸へ逃げ帰ってしまった。
それ以来、江戸城も明け渡して謹慎の日々を送っている。
慶喜の首を取るどころか、江戸城攻撃すら、させてもらえなかった薩長のフラストレーションは、もはや爆発をみる以外に収拾できない状況になっていた。そこで慶喜に代わって次の標的にされたのが会津藩である。・・・(最後の決断 より)

上記は、戊辰戦争越後四藩の苦悩をテーマに書かれた渡辺れいさんのある一辺だが、会津藩が長州・薩摩の深い恨みを買ったのにはそれなりの経緯があるのだと、真実に突き進む。

時勢の流れる中、朝廷は新発田藩に対しこれまで勤皇に尽力したことを褒め、今後もなお一層尽力するようにという趣旨の賞詞を与えた。
越後に討伐軍を派兵するにあたって、戦略的に有効な軍事力を持つ味方を作っておきたかったし、新発田藩の場合もまず幕府や大藩への嫌気がある。

それは長い間大きな圧力にさらされてきた外様の小藩としては当然の事であろう。
「勤皇」はその圧力と対抗できる新しい政治勢力であったが、奥羽列藩同盟が成立し、越後諸藩中、独り新発田藩のみ加盟しないのは、いかなる理由なのか?もし異論あらば手始めに事に及ぶぞと、仙台藩、米沢藩、庄内藩らの談判の申し入れがあり、会津藩の謝罪嘆願をはじめ、皇国のため尽力する形を取ることになる。

しかし、真意とは裏腹に先鋒隊を言い渡された新発田藩は、その代償に大きな犠牲を払うのである。越後の各藩が焦土とする中、その選択が城下を戦火から守り、領民の生命、財産を守り切る事になる。

歴史好きの知人がこれを読んでみなと、私のヒマそうな姿勢を見てとったか置いて行った一冊である。

文献を訪ね地域の歴史をひも解くとは、すごい女性が表れたと、読み始めの時、著者名を見て思ったのだが勘違いだった。

新発田藩初代溝口秀勝候は、当初六万石から十二代藩主の幕末には十万国大名として三百年余りをいき抜いてきたことは、並みの苦心ではなかったと思料される。
城壁の石組も威を張らず穏やかな曲線美を訪れる人々に優雅に優しく、今も古き時代を語りかけてくれる。
新発田城は十九万余りの領民の生きるシンボルとしての名城で有り、他と争う素振りなど少しも示していない。(城下町新発田新聞H14.12,2随想より)

新発田藩を取り巻く事情、思いと云うものがひしひしと感じられ面白い。

来年のNHK大河ドラマが「真田丸」主人公は戦国時代を代表する武将、真田幸村に決まった。

ヒーローの登場ということになるのだが、それはそれとして個々自体と云うよりも、今は地域全体の創生や、あり様が広く問われているのではないでしょうか?

外様でありながら取り潰しにもあうことなく、12代にわたってこの地を統治し続けるのである。

そんな歴代には小藩といえどエピソードが数々残る。塩止め事件の井上久助、討ち入りの安兵衛、与茂七騒動の大竹与茂七、30年に及ぶ仇討の久米幸太郎、杉田玄白の父も新発田の出身とか、話題には事欠かないが領民も奮起して新発田藩を擁護するのである。
そして大倉喜八郎の登場となる。
歴代の新発田藩の出来事をたどるだけでも面白い。

激動の中、新発田藩は如何生き延びてきたのか?これを1年間の大河ドラマで、仮称「外様・新発田藩!」なるものを脚本家杉山義法に書いてもらいたいと若い頃思ったものでした。

もはや其れは叶わぬ思いだが、ある地方の小藩は歴代の中で如何領民を守って来たか?そんなテーマにふさわしい地域ではなかろうか。

新発田藩を捉えた書物は多くは無いがそんな中、乙川優三郎著の「露の玉垣」には家臣や領民の生きざまが描かれている。

今月の14日には、300人を超すボランティアが一同に集まり、新発田城の一斉掃除が始まる。

毎年繰り返される、この光景は日本一と言われ、市民のお城への思い入れが伝わって来る。

 

追記 : 新発田城市民清掃隊で活躍されている御仁からメールが届きました。

    作業に入ったら、雨が止みました。南東の風で暖かったです。

    

殿様の銅像に最敬礼している人もいました。さすが城下町!

     受付での最終集計は約700名近くでした。

    飛び込みの企業もあり、事後処理は来週になります。

    高校生の活躍、指導にあたられた先生に頭がさがります。

    

    定着し、受け皿もあるこの行事、

    執行部の運営体制を真剣に考えなければならない時期が到来しました。

    これさえクリア出来れば、誇れる行事として永く続いて行くことでしょう。

    所で、「決断」読み終えましたか?

新発田南部線を行く

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10月の中ごろ、お客様の御婦人が「良かったよう...」と言う。

話によると、旦那さんと「林道新発田南武線」と云う所をドライブして来たとの事。紅葉があり景色が良かったのだそうだ。

「ヘェーそれは何処ですか?」地元に居ながら、名のある所らしいのだが初めて聞く名だ。

聞く所によると、主要地方道 新発田 津川線、中々山バス停のある所。夏に行ったサイクリングロードの終点地。このまま進めば5月の末に、家内と末娘と初めて訪ねた滝谷森林公園へと導く。渓流の流れが清々しいキャンプ場がある。左に曲がれば内の倉ダムへ行く。

ここから少し行ってT字型の道路を右へ。大きな看板が出ているから分かると云う話で、家内と出かけたのが10月の25日。

看板は大きくは無いが有りました。「あなた、わき見運転はしないでネ」と家内から忠告を受ける。

車で紅葉見物と言えば、日光いろは坂、磐梯吾妻スカイラインを思い出しますが、規模の大小を言わなければ、我が町にも、いろは坂はあるのダッー!

良くマァーこんな山奥まで舗装をしましたネ。道路は狭いのだが、所々路肩の広い所があり、対向車との便宜が計られている。

標高は500m位有るのだろうか、結構高低差があり登ったり下ったりで、先は景勝地「剣龍峡」に通ずるが、こちらから来ると剣龍峡の看板は残念ながら裏向きだ。私は剣龍峡に来るのは何十年ぶりかの2度目。

前は、駐車場から橋を渡って探訪したのだが、今回は路肩の階段を下りて行く。

まだ、紅葉には紅の色がなく、後日また訪ねて見たい想いに駆られる。このまま進めば月岡温泉が見える所に出る。

しかし、「剣龍峡」手前までの南部線、この道はしっかり管理されていて、午後5時以後はゲートが閉鎖されるばかりでなく、11月15日以後は交通止めになる。

それは如何してか?この道をバイクでツーリングした事のある同期は、「実は不法投棄があるのだ」と言う。

その対策が取られ、ゲートが閉められる。ノー天気に紅葉ダァーなんて騒いではいられない。

お客さんの何人かに聞けばドライブした事がる方も何人かおられる。

登山家で山を愛するお客様の言うのには、紅葉には黄葉も有り、今紅葉してなければ、その木々には紅くなる樹木はないのだと言う。

しかし、紅葉するのは雪が降りそうになってからとか、太陽の照り様が、今年は少ないとかも考えられるのではと、勝手な解釈で15日の最終日、家内を誘いまた行って参りました。

あいにくの空模様で前日からの雨でございます。

しかし、午後から晴れ間が有り出かけた訳です。

南部線のゲートを行けばドラマが始まる。これがデジカメでの最初の風景。

しかし、車が進み標高が上がれば山頂は雲が漂っている。今にも雨が降りそうだが陽が漏れて、虹が見える。

残念ながら今年は紅葉の時期を逸したか、来年時期を見て、また訪ねて見たいと思う。

天候が悪く今回は途中で引き返したが、内の倉ダムを眼下に見た事は新鮮な驚きだった。

  

 

写真、右側上部に内の倉ダムの湖面が見える。(小さい方の写真をクリックすると、でかく成ります。)

年にわずか数カ月間、開通する公が管理する幅員5m、約12㎞の広域基幹林道である。

つわもののサイクリング愛好者にも人気が有る様だ。今の歳になってこの林道を自転車で駆け昇ろうとは思わないが、私も昔、伊豆半島の山を自転車で登った事が有る。

我が町のいろは坂に興味のある方、わき見運転にはくれぐれもご注意を!

景色を眺めるのに所々駐車できるスペースが有ります。

 

バスルーム・コンサート Ⅱ

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この所、ラグビーの話題が人気をさらっている。

息子がラグビーをしていた関係で我が家も多少なりとも興味が有り、ワールドカップ南アフリカ戦の時、家内とTVを見ていたのだが、日本が追い付いても、すぐにリードを許す展開で、これは負けるなと思いつつ観戦していたが、後半30分近くに五郎丸選手がトライを上げた時、我が家も歓声と両手が上がり、「これはヒョッとして行くかも知れない!」と二人で大興奮していた事思いだします。

大会はランキング1位に君臨し続ける世界王者ニュージーランド代表オールブラックスが史上初の連覇達成しましたが、この国はラグビーばかりでは有りません。

マリオ族の血を引くニュージーランドの生んだ国際的オペラ・スター キリ・テ・カナワがいる。

私がモダンジャズに興味を持ち出した頃、オーディオの話題でクラシックやオペラの愛好家の方とも話すようになり、ある方の影響なのだが、クラシック、オペラのCDが棚の中に何枚かある。

それまでクラシック、オペラなど、じっくり聴いた事などないのだが、クラシックを始めるのなら、モーツァルトからと、その人のお勧めで1枚1枚買っている。

CDの枚数は覚えてないが、8割方がジャズのCDで次に多いのが浪曲、ソプラノ、クラシック、その他と続く。

色々レパートリーも多岐にわたってま~す。

今はCDを聴く行為はもっぱら風呂の中で、湯船に浸かりスピーカーが一つのコンパクト防水のプレイヤーで聴いている。

 あんなに音にこだわりがあった頃と違い、これで十分楽しめる。

日本酒と同じですね。あの銘柄、この銘柄とこだわりの有った時と違い、今はふところに優しく、赤いパックに入ったお酒で十分。

今、バスルームで聴くCDは、もっぱら女性ボーカルが多い。今CDを買う事はないのだが、昔買ったCDを今日はこれと、繰り返し気分に合わせ聴いている。

そんな中から、キリ・テ・カナワのソプラノをお聞き下され。

先月、キリ・テ・カナワさんが 福島復興祈念チャリティーコンサートのために、来日されました。

私も余裕があれば出かけるんですがネー。

とは言っても、そんな身分では御座いません。湯に浸かりCDを聴くので御座います。

モーツァルトオペラ・アリア集から、   『ツアイーデ K.334』   6:38   録音:1982年7月

https://www.youtube.com/watch?v=BXZ2hDbfTTg 

 

人権フェスティバル

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一人ひとりがちがうのは あたり前
         おなじなのは 命の重さ

これは地元小学生T・Rさんの人権標語コンクールの表彰式で発表なった標語の一つである。
素晴らしいですね、正に言い得て妙が有る。

新潟地方法務局新発田支局、新発田人権擁護委員協議会が今年応募した、中学生人権作文発表・人権標語コンクール表彰式を見ていて、中学生の作文発表を聞いて感心しました。

壇上に上がる姿、朗読の声、内容がしっかりしているのです。

この若い方々の感性の鋭さ、追求心には感激しました。

3名の方の作品が選ばれたのですが、1名の方が欠席でしたが、ロビーでその方の作文も拝見いたしましたが、最後まで引きつけられる文面で素晴らしい。

市長が挨拶でこの活動が始まって今年で20年目と、小、中学校の生徒にも人権の啓蒙と云う事なのだろう。

選ばれた標語発表は壇上に並んだ作者が朗読し、それに手話を話す小学生がその内容を会場に伝える。

こんなに手話を勉強した子供たちがいるのかと感心しましたし、人の為にガンバルと云う心をそだてた手話教室が我が町にある事が素晴らしいです。

 しかし、人権の啓発を願おうと始められた法務省の委託事業だが、頂いたパンフやプログラムに粗品があっても、標語の書かれたコピーがないのです。

受付の係の方に、感心した内容が多いので、何処かに標語の印刷物でも有るのかと聞けば、そんなものは無いとの事。

せっかくのキャチフレーズ、多くの人々に広めようと云うスローガン。人の目に触れてこそ、何ぼの物だろうが、その努力が無い。

ただ表彰式は行いましただけでは、標語の良さは世間には伝わらないだろう。何のための標語募集だったのか?それが残念です。

私が若い頃、こんな事が有りました。郷土の歴史編さんが始まり、その成果が発表になり昔の様子が研究者の尽力で、より詳しく地域の事柄がわかり昔の地図も復元されました。

城下町は生業を地域名とした地域も多く、我が町も紺屋町「染物の商い」桶町(おけちょう)「木を材料にして器物を製作し商い」などの、製造を商いとする店屋や職人が住んでいました。

その流れで、女郎、遊郭の地域を〇〇と表記すると「差別ダァー」の声が地域を利用して上がり、郷土の歴史編さんの発表が大きく出来なかったのです。

今の時代それを生業に生活している人など、その地域にいる訳もないが、大きな看板を上げ「人権侵害ダァー」と騒ぎたてるのです。

人権の侵害とは、人に指差され、あらぬ中傷、誹謗を受ける事ですが、自ら騒ぎ立てる?その地域が昔こうだったと、住宅街を見ても若い人たちは誰一人知りません。風化された過去の歴史です。それをガナリ立てる?

ちょとオカシイですネ。

しかし、人権問題は多義に渡る。初めてフェスティバルに昨日参加してみて、良い勉強になりました。

と、いうのは、生物学者、池田清彦さんと清美さんの講演会と親子対談「多様性を尊重する社会~セクシャル・マイノリティと家族」があったからです。

池田さん親子の対談が、私は美男子の息子さんだと思ったが、お父さんの話を聞くと、実は女性なのだそうだ。

話を聞かなければ男性で通るでしょうそれぐらの方です。お互いのお話を聞いても不都合さはありません。

兄が2人いるそうだが、3歳の時、初めて女の子が生まれた池田家には待望の女の子。スカートをはく様に、親は勧めるのだが清美さんはガンとして受け付けない。お兄さんのお下がりを着るのだそうだ。「親は経済的に助かったでしょう」と清美さんの弁。

そんなエピソードから始まって、それから思春期やら葛藤が始まる訳で、それをどう対処してきたか?問題の個所を頭文字を取ってLGBTと説明されていました。

生物学のお父さんの話では、人間のDNAは99%が黒人でも白人でも違いは無いそうだ。 何処が違うのか?人間の脳には「前頭葉」「頭頂葉」「側頭葉」「後頭葉」と云う大脳がある。それと小脳、脳幹と説明されるのだが、最近分かって来た事で脳の中には〇◇■△★とかと云うヴイが有り、(何か漢字で書かれたのだが忘れてしまいました)それが大きいと女性らしく、それが小さいと男性らしい行動と考え方が、身体のつくりに関係なく出て来るのだという。

本来、身体のつくりとヴイは、多くは関連しているのだろうが、1.7%位の方に、脳のつくりと身体のつくりが違う表れ方があり、それがまた、ヴイの大きさが中くらいの方もいる訳で、生きた環境もそうだろうが、身体のつくりと脳のつくりは人それぞれで、全ての人が同じ形と云う訳でなく、簡単におまえオカシイとか言えないのである。

TVのバラティを見れば色んな出演者がいて、キャラクターを作っているのかと思っていたが、色々な脳のつくりの人が居て、百羽一かけらには出来ないと云う事です。

そんな話を聞けば思い当たる節がある。この活動が正しく認識され、広く人々に認識される事を望まずにはいられない。

人権標語入賞作品クリックすると大きくなります。

 

作文の提示は後ほどに


周期のあり様

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二十四節季でいえば、今日は大雪(たいせつ)である。雪が降り積もる頃と言われているが、この季節我が地に雪はまだ降らぬ。

思い出の中では、11月や12月には1~2度位は雪は降ってもおかしくない地域である。果たして温暖化の影響か?

5年前、メインエンジンのトラブルで金星を回る軌道に入ることに失敗した日本の探査機「あかつき」が、今朝、残された小型のエンジンを使って再挑戦した。

JAXAは、金星の気象の解明を通じて、金星で起きている“究極の温暖化”の仕組みも明らかにできれば、将来的に地球の温暖化の研究にも役立てられる可能性があるとしていますと、ニュースは伝えるのだが、太陽系で起きている事実は、火星も実は温度が上昇している。

じゃ~、金星も火星も地球と同じく、誰かが化石燃料を燃やしているのか?

何故か?地球上ではこの事実が伝えられず、各国の首相や大統領が集まり、今年も会議が持たれている。

「気候変動」というまさに地球的な問題につながる地球温暖化の解決には、世界の国々が協力した取り組みが必要です。

そのための重要な場の一つが、国連を中心とした国際会議。各国の政府代表が集まり、温暖化防止に向けて世界が取り組むべき施策や、めざすべき目標について、意見を戦わせ、合意をめざします。

しかし、こうした場では、各国が自国の利益にこだわった発言をすることも多いため、本来の目的が忘れられがちになることがしばしばです。

そこでWWFは、特定の国や立場に属さない視点から、この問題に取り組む世界中のNGO(民間団体)と共に、各国政府に対し、真に温暖化の防止につながる対策のありかたを提言しています。

と、マーこう云った論調で語られている訳でして、なぜ、NGOが出て来るのか?

ちょと気になりこのブログ「枝豆」にも書いた事があった。

勝手な思いを言えば、太陽の周期のあり様が変わって来たのではないか?地球が誕生して、何億年の間に氷河期なども経験する訳で、太陽の自転軸も変わるのが大宇宙の仕組みだったりして...。

また、こんな見方も有りますよ。話のネタにいかがですか?

温暖化はウソ?!地球は今どうなってるの?

http://matome.naver.jp/odai/2138188255875220301

 

 

大倉喜八郎の会

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日曜日は、大倉喜八郎の会主催の講演会に出かけて来ました。県を代表する三大偉人は安兵衛、良寛、喜八郎だと言ってはばからぬ研究者、新潟大学名誉教授、冨沢信明氏の名調子を拝聴して参りました。

この三名は教授の研究対象で、新たな発見があると、地元新聞紙面を賑わす事がある。

そんな事で安兵衛の講演なども何度か聴いた事がある。話が面白く、2時間の講演時間があっと云う間に過ぎて行く。

喜八郎は幼少の頃、家からそんなに離れていない、安兵衛の御親戚の私塾積善堂で学ばれた事がある。(漢籍・習字・珠算を習う。この塾で陽明学の「知行合一」の影響を受けたといわれる。)東京経大資料委員会・喜八郎略年譜より。

安兵衛は郷土の英雄である。そんな話もしばしば聞かされていたのだろう。

そんな事があってか喜八郎が江戸へ出て暮しをたて、商いの場にしていた所が、なんと安兵衛の住んでいた関わりのある場所の近くなのだ。

そんな話が古地図を指し示しながら繰り返される訳で、足で訪ね歩くのだろうが、両者を研究している人でしか気がつかぬ内容だ。

広い江戸に出た喜八郎が、郷土の英雄を模してひと旗あげる想いの表れか、狂歌にもその思いが詠われているという。

私が幼少のおり諏訪公園(東公園)に、父に連れて行ってもらい遊んだ事があるが、巨大な大倉候の銅像が戦争で供出されたが、そこにはデカイ石で2~3段組まれた大きな台座が残っていて、そこに上げてもらいヨロヨロと駆け廻った思い出がある。

当時はここは何するものか?子供の頭で判断出来兼ねていた。それが古地図があり、ここまで諏訪神社の境内の一角だったとは、その台座から正面を見れば、左手には松林の小高い丘があり、もう少し大きく成ったときに、そこを駈け上がったり下りたり、かくれんぼした覚えがある。今SLが飾られている辺りだったか。

台座のあった所は、今は住宅に成っていると教授は言うが、そうかもしれないナーと、定かではないが私も思うのです。

年配の聴講者の中にも、その頃の様子が分からない人達もいる様で、幼少の頃、住んでいた地域が近くなければそんなものかもしれない。

大正7年に駅前に郷土の産業振興に貢献されて、大倉製糸工場を設立された。私が子供の頃、白い大きな煙突が空間に2本並んで立ち、お昼に成ると、その辺りから大きな音で「ウゥ~ン」と正午を知らせるサイレンが鳴り響いていた事を覚えている。

しかし、昭和56年に大倉製糸が新発田工場を閉鎖して撤退したのを境に、旧市街地は急速に衰退してゆくのだが、10年前にその跡地に県立の巨大病院が建ち、徐々に見直しも進められている。

次世代に残したいもの100選と云うページがある。

郷土を紹介する素晴らしいページで色々の事柄が語られている。

その中で大倉喜八郎のページもあり紹介されているのだがその中で、“新発田には多大なる貢献をした人物として知られており、新発田市に多額な基本財産を寄付し羽越線開通への協力、新発田市諏訪町にある東公園の寄付、大倉製紙新発田工場の操業など多大な貢献をしました。”となっている。

今の若い人達にしてみれば、そんな思いなのかも知れない。大倉製紙ではなく、大倉製糸工場だ。

早く直されたほうが....

 

日本の心

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物の考え方が、どうも日本の文化からズレはじめているような気がしますネ。

どうも物の流れと云ううか、今話題に成った夫婦別姓の件もそうですが、憲法の有り様とか、色々な事が話題に成っていますが、世界の中で、一番安定した国を築き、国名が変わることなく生き抜いて来たのは、世界広しと言えど日本の国だけです。

それは、人間として他の国に比べ正しい価値観の積み重ねがあったからなのでしょう。

それは、日本人が知恵として授かったものの考え方、気遣って来た絆、伝統文化によるものではないでしょうか。

夫婦別姓と云う他国の文化に頼らず、家族制度を崩壊から守り、婚外子の増加をおさえ、何よりも弱者の個を救って来た制度です。日本の伝統的家族制度に頼らず、強く生きれる人はそれでも良いでしょう、では弱い人は誰が守るのでしょう。 

憲法論議をするよりも、巷ではこんな論議がありました。

ねずさんのひとりごと云うブログに“「うどんかるた」の言葉狩りと察する文化”と云う記事がありました。

「強いコシ 色白太目 まるで妻」。香川県が作った「うどんかるた」の文言が問題視され、販売中止が決まった。
県によると、よせられた苦情はわずか1件だった。

決定について、ネットでは「何が問題なのか」「どこがアウトなの?」と疑問な声が圧倒的だ。

「強いコシ 色白太目 まるで妻」。これが女性差別になるのか?そんなこと言ったらサラリーマン川柳も成り経たぬ。

ねずさんのひとりごとのページには、深く日本の考え方が語られていますが、察する心まで伝えられるか分かりませんが、長文の中から最後の件を下記に引用。(興味のある方は全文をご覧あれ) 

「多文化共生」という言葉があります。
とてもよい言葉ですし、私も大好きな言葉です。
ただ、気をつけていただきたいのは、ここで「共生」をしようと言っているのは、どこまでも数多くの「文化」です。
誰もケモノと共生することは望んでなどいないのです。

もちろん、猛獣であろうが、人喰いハイエナであろうが、動物園のオリの中に閉じ込めて、「見世物」として動物園の専門の職員が面倒をみるなら、それはそれで結構だと思います。
けれど、そういうケモノと、日常生活で同居せよ、同じ町に暮らせというのは、行き過ぎであろうと思います。

なぜなら、彼らは些細なことで泣き叫び、大声を張り上げ、自分の意見が通るまで執着し粘着し、相手の悪口を言いふらし、吹聴し、徹底して追い込みをかけるからです。
そしてそういうことを「抑えこむことができない社会」を築き上げてきたのが彼らなのです。

そういうことでは、「多文化共生」など夢のまた夢にさえなりません。

このことは、逆から言えば、日本人が世界の、特に極東の世界にあって特殊なのだということもできます。
けれど、特殊であろうがなかろうが、良いもの、正しいものは、世界に向けて堂々と拡散すべきだろうと思います。
だって、ケモノの社会より、人間としての道理や筋がきちんと立つ社会の方が、特殊な国を除いてはよほど幸せな社会と思えるからです。

ただ、残念なことに、冒頭の「うどんかるた」にあるように、日本人的「察する文化」が、言葉狩りのようなくだらない手口で、日本人からどんどん失われていくことは、たいへん残念なことに思います。

日本人は、日本人としての文化意識を取り戻す。
それこそが大事なことなのではないかと私は思います。

 

 

 

 

 

 

村杉温泉でのんびり?

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飲み会の機会が減った商店街の有志と日曜日、たまに忘年会と云う事で如何?と誘いを受け、村杉温泉、長生館まで行って参りました。

私は温泉と云うと、硫黄の匂いがプ~ンと漂うイメージが一番強く、それは子供の頃、親に連れられて行った、近くの硫黄含有量日本一の月岡温泉が一番の思い出にあるからでしょう。

学生の時、房総半島の温泉、養老渓谷だったか、今となっては良くは覚えてないが、一度とサークル活動の連中と出かけた事がある。

温泉と云うのは当然、硫黄の匂いがするものと、てっきり思っていて、ウラン温泉だったか?ラジウム温泉だったか?の表示があり、無臭で「エッこんな温泉があるの?」と、初めての経験でビックリした事がある。

よくよく考えれば千葉県には火山が無い訳で、温泉も色々あると云うことか。

月岡温泉の先、村杉温泉もラジウム温泉で無臭である。温度も熱いと云う湯では無く、手足を伸ばし、身体をゆっくり休めさせるには良い湯なのだろう。

ここの一番の売りはラジウム温泉が飲めると云う事で、冷たく冷やされた飲料水が所々用意されている。一緒に行った人の中には、ここの温泉を高く評価していて、ラジウム温泉では玉川温泉が有名だがわざわざそこまで行く必要が無く、湯質を見ればここで十分。外から、内部からラジウムの効能があると云う。

朝起き、長生館の庭を見れば、この冬初の、うっすら雪化粧で御座いました。

しかし、風情を感じていられないのが、政治の世界で日韓の慰安婦問題だろう。

新聞を見れば「最終的かつ不可逆的な解決」で合意したとあるが、何度合意するのか?

某氏が書かれていましたが、日本人に世話になったとか、恩義があるとか、そういう論理性、倫理性、道徳性は皆無なのです。
ただ、いま、この瞬間に、人よりも優位に立てるかどうか。
いまこの瞬間に、欲しいものを手に入れられるかどうか。
そこに仁義だとか、感謝だとか、筋目だとか、そういうものはまったくありません。

私も色々疑問を呈する人の書かれた物を少しは読みましたが、くそ真面目の性格か今回の合意は問題ですね(そんな偉そうに言う立場では有りませんが)

これまで何度も約束を破って蒸し返してきた韓国です。恥を知らない民族であるだけに、期待できない・・・・そのように思わざる得ません。

日本人は隣人とは、よく仲良くしようと言います。日本の国の中ならいいでしょう。

ところが、世界は違うと云う事です。アメリカしかり、中国や、韓国、みんな隣国はろくでもない国と見ているのです。それが世界の常識なのでしょう。

だから軍隊がいるのでしょう。こちらが非がなくても、何時襲って来るか分からないのです。

日本では、こちらに非がなくても「相手の逃げ場を確保してあげなさい」という考え方があります。それは日本の伝統文化に根付いた人には理解してもらえるかもしれません。

他国は無理です逆に誤解を招きます。

年末に急に持ち上がった日韓交渉と合意に関する背景は間違いなく、これは米国の強い要望を日本と韓国が聞かざる得なかった。そのように考えることが出来ると云う見方があります。

日本人為政者のサジ加減の甘さか、この事で、今後汚名を着せられ過ごす、これからの日本人に対して言い訳が出来るのか?歴史学者ではないが日本の心に強く触れる問題だ。

反論のある方は、下記を一度お読み下され、その後、議論致しましょう。

櫻井よしこ「日本を貶め続ける「河野談話」という悪霊」

 結局、私も起き上がり長生館では、午前2時半までビール片手に議論がつづきました。

人間が生きてきた中で、正論を言うよりも、今、戦国時代なのか、明治時代なのか、それぞれの時代に合ったベストの生き方を、今の時代自分自身が、しているのかが問われるのではないか?

イヤハヤ、みんな良いガンコ親父になっていましたネー。

本年もたわ言の締めくくりです。来年は良い年であります様に。

それでは皆様、良いお年をお迎え下され。

 

 

お年玉

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あけましておめでとう御座います。正月から一週間が経ちました。本年も宜しくお願い致します。

今年のお正月は、久々に雪の無い日々で御座いました。

何度か雪の無い正月は経験していますが、表日本側から、幼い孫達が訪ねてくる様に成れば、お正月は、こちらには雪があって雪遊びやら、ソリに乗せたりの思い出づくりが出来ればと思うのだが、年末の孫からの電話は「雪ある?」で、「無いヨ~」の会話で残念で御座いました。

来れば、雪の話は何処へやらで「ジジィ、バァバァ」と元気よく「ヨウ~来たナ」と目尻が下がるので御座います。

初めて当地を訪れる赤ちゃんをいれれば、総勢12人。皆で囲む食卓はと、年末から献立に頭を悩ます家内の手伝いにアッチへ行ったりコッチへ行ったり。

我が家に来る前にも、孫たちは親戚廻りがあるわけで、訪ねれば、来ていたオジサンも「これ、スイマセン1マンしか入っていないんですけど..!」とお年玉袋をみんなにくれるのだそうだ。

5歳の孫や、小2の孫は、目を丸くしてオーワンダフル、お年玉の袋を貰って大喜び。

えぇッと、こちらもビックリ、そんな話を聞けば「こんなに小さな子らに1万円もくれるのか?」こちらの用意したお年玉と金額が違いすぎるッテ!!

さらに話をよくよく聞けば、「これ、スイマセン1マイしか入っていないんですけど..!」との聞き間違いで、それを上手にオジサンが一枚上手に語った訳でして、後で袋を開けて、1000円札一枚で孫たちはガッカリしたとか..。

3歳の孫はお札より、コインが良いとお年玉袋をカチャカチャ振って見せ、ニッコリで御座いました。

実家のおばあちゃんは、お年玉を孫たちに用意しているのだが、孫の人数が少ない時は、それもアリだろうが、くれる金額が大きいのです。
これは、チョト金額が大き過ぎると、人数が増えれば出費もかさむ訳で、家内がそんなにいらないからと、前々から伝えているのだが、思い入れはそんなに簡単には変わらない。

それで、家内とお姉さんが申し合わせて、今度はお年玉をそれぞれ「オラ、イラネイラネ」と言うおばあちゃんに、こちらからムリヤリ渡してきました。

元旦は我が家から孫たちに「○○ちゃん」「□□ちゃん」と呼べば「ハ~イ」とお年玉をもらおうと、みんな勢揃いです。

イベントが終われば、今度は娘夫婦から私達に「ハイお父さん」「お母さん」と、思いがけなくお年玉のプレゼントです。エッと言いながらつい手が出てしまう「アッどうも」と、
二人とも「オラ、イラネイラネ」とは言いませんネ。まだまだ、おばあちゃんの領域には到達しておりませんナ。

時は過ぎて、私達も何時しか、お年玉をあげる立場から、頂く立場になっていたとは..。娘の言うのには「色々お世話になったから」と。

さて、この世の中、天からお年玉は舞い降りて来るのか?世界の今年はどんな年に成るので有りましょうか。





万物が冷える季節

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一月も半ばともなれば、小寒と大寒の間である。
寒さの増す頃ついにドッと雪も降り、寒さも厳しくなって来た。

相変わらず商売も厳しい中、昨日は商店街の新年会で御座いました。

理事長から話は聞いていたが、出席者が少ないデスネー。それが前日ドタキャンが有り、さらに減って来賓を数に入れても、総勢18名。

役員会の時、コンパニオンの数が問題に、例年5名のコンパニオン呼んでいたが、参加者も減ってきているのでそんなにいらないのではと、それで20名を切ったら3名にすると言う話だったが、コンパニオンはドタキャン出来ずに5名がやって来た。

商店街が最盛期の頃は、参加者はたしか6~80名は降らなかった様に思います。

当商店街もそうですが、メーンストリートもずーっと両サイド商店が連なっていたのだが、あちらこちらで商店の取壊しがあり、更地になったり、駐車スペースになる所が増えて来た。

市と民間企業が駅前に建設していた複合施設がこの春オープンする。そんな話も来賓の挨拶で語られていた。また来年に成れば、メーンストリート街の中心に、市役所の新庁舎が完成する。

それまで商店街は持ち堪えられるのか。厳しいですナ。

本格的な雪が降る前日、第12回「城下町しばた全国雑煮合戦」が、小雨の降る中、今年初めて上・中町商店街で開催されました。

当商店街にも話は合ったのですが、警察から歩行者天国の許可が下りづで、話がなかった事に。

議題に上った時は、車が交通止めでは商売に差し障るとか、商品に匂いがついたら如何すると実は、役員会では色々御座いましたが、商店街を会場にしたその結果の話も来賓から出て、歩行者数が1万7千人とか、その数字を見れば大したものです。

昔、駅前に大型店ジャスコが出来た頃の人通りは、Ⅰ万人を少し超える数でした。賑わい演出には効果は合ったのでしょう。

私も、家内と出かけて参りました。




   

と、二人で色々頂いて来ました。美味しいかったデス。

一応テントを張った飲食スペースはあるのだが、皆さん歩道で立たれて食べられている方も多くおられました。
商店の中には、お店のテーブルを食事をされる方々に提供されているお店も御座いました。

商店街で行われ、多くのお客様に来て頂いたが、しかし、これが個々の商店の売り上げにつながるのか?
もう一工夫あるのか?

大寒

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やはり降る時には降って、寒さも厳しいですね。寒いのは身体ばかりじゃありません。ふところも凍ってしまいますナ。

こんな気候では、訪ね来るお客さんもポツリ、ポツリで、お茶飲みも皆さん来ませんネー 。

、車は通るんですが、しんしんに冷えれば歩道には人影はありません。やる事の無い私は、裏の駐車場の雪投げデス。

消雪ポンプもある事はあるのですが、一斉に各地で始動すると、地下水の出が悪く成り、それではと手持無沙汰、運動不足の解消にロートルの出番となる訳です。

出番と言えば、いま朝食作りをしています。

思えば子供たちが学校に通う頃、家内は毎朝、十数年間、弁当作りをしていた訳で、私は布団の中でグーグー高いびきでございました。

それでは申し訳ないと始めた訳じゃないが、毎朝台所に立つのでございます。

なにか心を入れ変え模範生登場と云う訳ではありませんで、ただ歳を取り、朝早く起きるようになってしまった訳で...

マァー私のやる事ですので、味付けをすると云う事はなく、今日の献立は、シリコン容器に玉ネギ、ニンジン、ピーマン、じゃが芋、ブロッコリー、カボチュア、小松菜などを、せん切りや薄く切り、水でもどしたワカメ、しょうが、えのき茸、冷凍シイタケ、コーン、最後に刻んだベーコン、ミニトマト入れ、素材ごとに加熱時間を変え加え、電子レンジでチンで出来上がり。私はもっぱら、ごまドレッシングでいただきます。

刻んだり、なんだかんだりで、おおよそ30分ほどかかります。

後は、息子夫婦がプレゼントしてくれた、エスプレッソコーヒーでカプチーノを作り、これまた最近ホームベーカリーを引っ張り出し、一斤半あたり大さじ3杯分のいりゴマ入り、フランスパンを作っております。

何か家内は、もっと別のものを食べたい様ですが、私の邪魔に成らない様にとソットしておいてくれます。

野菜は大腸の中で収縮し、ワカメは拡張するのだそうです。メタボ対策に野菜を取ろうと始めたのですが、ワカメのおかげで通じも良く、少しスリムに成りました。

「貴方、チョトやせたけど何処か悪いんじゃないノ?」

これは、家内の弁であります。

 

 

 

 

 


ある評論家

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TVから国会中継が流れて来る。
聞いていても何かわくわくするものがない。右から左に流れてゆくだけデスネ。

如何も社会の沈滞化ムードがこの田舎町にも流れ始めていて、この先、世界の経済が沈滞化に向かいそうなのだが、国会議員にその覚悟があるのか?国会の議員席を見ればガラガラであります。

庶民の実態が分かっているのか?選挙ともなれば、右だ左だと大騒ぎをする。支援するグループ団体に利をと叫ぶ。

私は右でも左でもない。利を求めるのではないのです。商売で言えば1000個売れば1000個分の税金を払う。1個しか売れなければ1個分の税金を払う。世の中これで良いじゃありませんか?

24時間働いて1000個売った。かたや8時間働いて1個と云う事もあるでしょう。それが1000個売ったのだから税金をまけてくれと言いだす団体が表れる。

また荷物を毎日いっぱい出すのだから運賃を負けろと言いだす。じゃー運ちゃんの日当を負けた手当てにしろと云う事か?

日本の近代化の素晴らしさは、何方が出されても、津々浦々に切手一枚で手紙が届いた事だ。今はどうか?と書き出すと話したい事柄とズレて行く。

私はあらゆる制度の中で、搾取が問題ではないのか?それを無くす事が平等の権利の復活と思うのだが、競争ダッ、競争する事が正しいのだと叫ばれ日本の文化から離れて行く。

評論家に日下 公人氏がいる。反米・保守派の論客として知られる方だが、この方は搾取とは言わない。世界の根源は潰そうとしている事だと言う。

ゲルマン民族との違い、日本の立ち位置をこんなに厳格に語る評論家がいただろうか?ユーチューブなどで、穏やかな口調で語られている鋭さが素晴らしい。

ウィキペディアで、ある宗教が語られているが、そのくだりを下記に引用。その後、GDP、少子化、経済、アメリカ、中国etc..評論の一端が紹介されている。興味があれば一読あれ。

キリスト教には、神の教えを広めるという布教活動があるので、欧米にはもともとそういう考えがあるが、日本人は単に宣伝とかおすすめだと思っている。彼らはもっと押しつけがましいことを考えている。

「神の教えをあなたに教えてあげます」「あなたは救われます」を本気で思っていた時代をまだ続けているのだから、強敵と思ってお相手をしなくてはいけない。

中国では同じことを「解放」といっている。解放のためには解放戦争をしてもよいと思っており、すべてはその準備工作だから隣国は大変である。 

日本人の宗教観はキリスト教よりも上で、高次元だ。キリスト教などよりずっと精神的に昇華された宗教を日本人は持っている。

日本のアニメがなぜ欧米人の子供にも人気があるか、と言えば、彼らのキリスト教に根ざした偏りを、日本のアニメが破っているからだ。アニメーションというのは、もともとアニマル、つまり「動物」から出てきた言葉だ。

アメリカのアニメは、ネズミやネコなど動物がずっこけたことをする。人間はずっこけたことをしてはいけないから、面白いアニメを作ろうとすると動物園になってしまう。

それは聖書を読めばわかる。聖書に、「人間は動物の上にある」と書いてある。旧約聖書の創世記「神は己の姿に似せてアダムをつくりたまえり」と書いてあるように、人間は、動物以上で、神と動物のあいだにいる、基神様。したがって神様は、アダムのような顔かたちで30前の男に似ているらしい。

人間は神様に似ているから、天国に行けるんで、動物は天国に行けない。したがって人間が食ってもいいとなっている。

だからキリスト教世界の欧米では、人間がずっこけたことをすると、キリスト教団体から教育上悪いという抗議がくる。

そこでアニメが誕生した。欧米とは逆に、日本では、子供は神仏に一番近い。欧米の子供は人間扱いされていないから、日本の漫画やアニメを見ると救われる。

新展開

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物事には、何時かかならず終わりが来るという。世のことわりを、終わりがあるから今を大事に、そして今を生きる。

変化があるからこそ、人は未来に夢を見る。時をわかすベルト奪還の夢をつかむか!これはTVでのプロレス中継でアナウンサーが叫んだ言葉だ。

中々、美味いこといいますよネ。そして対戦相手が入場してくると、

王者の終焉を誰も見る事が出来ない、なぜなら我らの王座は、この先永遠につづくものであるからダァー。フォーエバーフォーエバーと、絶叫するのです!

限られた世界での熱狂だが、子供の頃からTVのプロレス中継は眺めていた。

得体の知れない外人悪役レスラーにあくどい事をされ、痛めつけられても必死に立ち向かい、最後は伝家の宝刀、空手チョップの連打で巨人レスラーを打ちのめすのダッ!力道山の手が高々と上がる。

マッテマシター!!正義が勝つ。

満場の拍手喝さい声援がこだまする。ジャイアント馬場、アントニオ猪木、次々とニューヒーローの登場だ!それは今の時代も変わる事がない。

どの年代も悪者をやっつけ、正義の味方が勝利する。この事は、むかしばなしの桃太郎からはじまったのか?

鞍馬天狗、銭形平次、水戸黄門、遠山の金さん、時代が変わり月光仮面そしてウルトラマンの登場となる。

何時の時代も日本の文化は正義が勝ち、乱高下する社会の荒波から人々を救って来た。

だが、今は如何か?TVから時代劇がなく成り、若者は時代劇を見た事があるのか?(エッ?話題が古すぎるデスッテ)

何時頃からあくどい奴らの天下に成ったのか?

雑踏の中、民主主義が正しいのだと、人々は自由を謳歌するのだと、おのれおのれが自由気ままに生きる、我が道を進んで何処が悪い?と、個人は自由奔放に生きる。人は、それが現代人の生き方だと言う。

苦境に有りとも昔の人々は身を律して生きて来た。最後は正義が勝つのだと鍛錬を積み礼節を重んじて来たのだ。

「正義の味方」とは、月光仮面の作者川内康範氏が編み出した言葉だが、

それは人と共にあるのだと

一人で戦ってもそれは見えてこない。 

最後に勝つのは独りよがりの思いではないのだ。

それを言い表したページを下記にご紹介。

 「スーパーマン」「スパイダーマン」「バットマン」

 ヒーローが登場する映画やアニメでは、必ず、最後は正義が勝つようになっています。

しかし、実際は、勝つようになっているというより、世の中は正義しか勝てないような仕組みになっています。(エッ、ホント?)

「最後に勝つのは正義」というのは本当の話で、悪は最初にうまくいっても、途中で必ずつまずいてしまいます。

大きな物事を成し遂げようとすると、必ず大きなパワーが必要です。

大きなパワーとは、自分の力だけではなく、たくさんの人からの「協力」です。

人1人の力には、限界があります。

しかし、皆の力を合わせれば、できないこともできるようになります。

「スーパーマン」や「スパイダーマン」は、1人の力で大成功を成し遂げているように思えます。

しかし、実際は、応援してくれる人たちがたくさんいるからこそ、パワーが湧き出ているのです。

たくさんの人からの応援は、間接的でありながら、しっかりヒーローの心の支えになっているのです。

それに比べれば、悪は必ず最後に負けてしまいます。

応援してくれる人がいないため、底力が出てこないのです。

悪は誰も応援してくれないため、本当の大きなパワーを得ることができないのです。

最後に勝つのは、たくさんの人の応援を得ることのできた正義です。

運は、力の強さではなく、応援してくれる人のパワーによってもたらされるものなのです。

君!そこに気が付けよ、新展開が生まれるぞ。

 

 

番組アラカルト

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TVの番組も年々新たな番組が生まれている。日本の文化や日本の優れた産業などを紹介する番組が目にとまり、楽しく拝見している。

 坊さんがズラリ出席する「ぶっちゃげ寺」月曜P:M7:00

お坊さんがその土地の歴史、文化に触れ、宗派に関係なくそのれを享受する。また、「所さんのニッポンの出番!」火曜P:m7:00は、日本の産業を外国の専門家視察団の驚きと共に見てもらい、日本の優れている点を視聴者の我々に享受してくれる番組だ。

また、NHKの「クールジャパン」日曜P:m6:00は、日本にお住まいの外国人を手掛かりに日本の文化論を話してもらい、日本再発見、日本の優れた所を伝えて行く。私は再放送で深夜に、またNHKは真夜中に日本の文化を海外に紹介する番組なども放映されているのだが、見て見ると丁寧な取り組みで、日本の文化をすべて深く知っている訳でもない我々も、良い勉強になりそうなのだが、日本語に翻訳されておらず残念で有りますナ。

各々TV局、何か日本を追求する番組が増えて来たのが近年の特徴の様です。

「所さんのダーツの旅」水曜P:m7:56とか、番組では収録後、出演者が真夜中のある街を、電車の始発まで飲み明かすコーナーがあったり、今日はケンミンショーがありますね、これまた私達の食べた事の無い御当地料理をご紹介と、司会はみのもんた、久本雅美で、雅美さんの突っ込みがピカイチで、この人は頭がキレますネー。

 まだ色々ありますが、どの番組も我々の気付かぬ発見をネタに、居ながらにして味わえる番組で、今宵も一献頂きながら、楽しめればと思っています。

しかし、「池上彰のニュースそうだったのか!」とか色々スペシャル番組化して、放送時間が3時間を越えるものが、出て来ました。

スタジオのセット1つで、長時間視聴者を縛りつけるとは、放送局のコスト削減対策か?こちらとすれば、他の番組も興味がある訳でして、同じ調子でダラダラやられてもネ。

日本を紹介する番組は、大いに結構ですが、マァー余り気張らずに、

日本の元気さ、良さを、大いに伝えていただければ、面白い。

さて、今宵の見たい番組は?

え~と、「プレバト」..「得する人損する人スペシャル」..はたまた「片岡愛之助の歴史捜査名城ミステリー3時間スペシャル!」..「歴史ミステリー日本の城見聞録2時間スペシャル」..さて、どれを見る?

コタツで、酔いつぶれず見届けられるか?

日本の形

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 国会を見れば与党のおごりが出たか、袖の下大臣辞任に、女性関係報道議員の辞職である。
また野党は野党でTPP関連法案の闇の部分を追求しなくては成らぬのだが、そんな話はどれくらい出たのか?もっぱら与党議員の言葉尻を捉えた、揚げ足取りに終始する。

オイオイ、21世紀の国家像を語れよ、天下国家を語らずして政治の存在意義はありません。

何か近代化と称してタガが外れたか日銀は日銀でマイナス金利の導入である。

それを放送する各社のニュース解説を見ると、ナント各社各様の説明で、受け取られる内容がまるで違うのです。(私は4社のニュース解説を見ました)。

素人の見ている番組で、解説の内容が番組ごとに違うとは?まともな経済学者はいないのか?一事例の事柄が各様に語られているとは?どの放送局の事柄が正しいのか?後は思い込みを語ったのか?

言論は自由だとは言っても、これはチトおかしいのでは有りませんか?

国民に間違った印象を与えているとしたら放送局は国賊そのものデスナ。

また、今度の参議院選挙に衆議院議員を辞して参議院選挙に出馬する人が居る。党の方針だそうだが、衆議院議員でもっと頑張ってもらいたい。もったいないデス。参議院が衆議院より格上と云うならともかく、こんどの選挙に勝ちたいという気持ちは分からんでもないが、TVゲームに夢中な駄々っ子みたいです。

何か凛としたものが無く、世の中、人々をだらけさせよう、だらけさせようとする力が、何処からか加わっているのか?

日本が培ってきた文化は寺小屋を見ても分かります。学習は畳の上での正座でした。誰一人、身体を崩さず努力する。

教えをこうむる姿に異論を挟む人は誰もいません。それは高むる精神をその学ぶ姿勢に見たからでしょう。

ある方のブログに今の教育現場が語られていました。

 いまの時代は、微動どころか授業中に私語をしたり、さわぐがあたりまえなのだそうです。
それを教師がとがめると、子どもは言うことを聞くどころが、なぜ叱られたかすらまるでわからず、挙句の果てが親が出てきて、「どうしてウチの子ばかり叱るんですかっ!」となるのだそうです。

これは聞いた話ですが、いまどきの小中学校の授業は、教室で先生は仕事だから勝手に授業を行い、生徒たちがその先生の授業をまじめに受けようが受けまいが、それは個人の勝手なのだそうです。
道徳教育など行う必要はなく、教える必要もない。
道徳心は子供達が人間として生まれてきたときに、すでに持っているものなのだから、社会道徳を教えることは、子供達の持って生まれた道徳心を否定することになり、よくないこと、なのだそうです。

私などから見ますと、それは暴言にしか思えないのですが、日教組系の教師たちは、それ以外の一切の意見に聞く耳を持たないのだそうです。
ちなみに、自殺者の最も多い職業が、いまは学校教師なのだそうです。
さもありなんと思います。

これに対し、もともとの日本の教育は、たいへんに厳しいものです。
教師に教えてもらうのは、論語や算学そのものもさりながら、そうした学問を通じて、人としての道を教わるものだとされていました。
人と犬猫などの畜生との違いは、道徳心を持つか否かです。
従って道徳教育を受けるということは、動物から人になることを意味します。
だからこそ道徳教育のことを、「身を修める=修身」と呼んだのです。

何か今の時代は精神が失われたか、今朝の某ワイドショウの番組で話題に成っていましたが、漢字の教え方で、トメ、ハネ、などどうでもいいと云うか、たとえば(木)という字を教えるとき、真ん中の縦線をトメるのが正しいのか?ハネるのが正しいのか?

今の教育ではどちらも正しいのだそうです。エ~びっくりポンや~!デスナ。

人それぞれ書きムラがあるからとの事。

それはチト違うだろう、正しく教えると云う認識が必要ですよね。その後、人それぞれ書きクセが表れようが、それは自由でしょうが、円周率を3.14じゃなく3デスなんて教え方をかつてしていましたが、そんな教え方など、してほしくは有りませんナ。

どの立ち位置の人も、どの年代の人も、タガが外れたか今一度、日本の精神、武士道を思い出せ、自身の名誉「名を汚すな」、日本の形を取り戻せでアリマス。

 

お酒セット

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今朝早く、思いだせないのだが、家内宛てに酒造会社から宅配便が届く。

何だったろう?包みを見ると、4合瓶が2本並んで梱包されている大きさで、重さもある。

差し出し人を誰かと見れば、県内の醸造元「君の井酒造株式会社」からだ。家内も首をかしげるている。

「何か懸賞に当たったのかしら?」毎月地元新聞社も集金に来る時、読者プレゼントのある小冊子を置いて行く。

果たして応募したのか?しかし、数あるプレゼントの中から家内が自ら、お酒のプレゼントを選ぶとは考えにくい。まして私が応募して宛名を家内名にする事も無い。

暮れに長女家族が妙高を訪ねた様だが、その時酒蔵でも寄ったか?

包みを開けて見ると、「ご当選おめでとうございます」の文面。

背景 時下益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
平素は弊社製品をご愛飲いただき、厚くお礼申しあげます。
この度は「君の井飲んでごっつぉさん」プレゼントキャンペーンにご応募
いただき、誠にありがとうございました。

厳正なる抽選の結果、貴方様がご当選されましたのでここにお知らせいたします。

今後とも弊社製品をご愛顧の程宜しくお願い申し上げます。

                                         敬具

文面と共に「君の井お酒セット」が送られて来た。

その中の1月21日発売の冬季限定商品の案内をネットで見れば、

「2016年春の純米新酒」です!

新潟の良質米と清冽な水を使用し、雪国越後の厳寒の酒蔵でじっくりと時間をかけて仕上げました。 お酒本来の旨味をそのまま瓶詰した無濾過の純米酒。引き締まったキレのある数量限定のお酒です。

●原材料:米(国産)・米こうじ(国産米使用)
●使用米:五百万石 ●精米歩合:60% ●アルコール度数:15.5度


※無濾過とは?

字の通り、濾過をしていないお酒のことです。
濾過をしないことにより、お酒本来の旨味や香りを楽しめ、そのお酒の個性を光らせることになります。

出来たてのお酒は、味も荒っぽく多少色の付いたものです。ほとんどの市販酒は濾過をすることで、雑味・色等を取り除き出荷されています。ですが、技術の進歩により、この濾過を省いても充分飲めるものになりました。

お酒の旨さ、品質に自信があるからこその「無濾過」☆

是非、君の井自慢の【純米酒】本来の味、個性をお楽しみ下さい。

丁度お酒も無く成り、節制、禁酒に今夜は挑戦と思っていましたが、またまた夢やぶれでアリマス。 

しかし、応募したのか?応募したんだろうと家内の弁で有りますが、そんなことすら思い出せない歳となったか?

新潟清酒「君の井」酒造元

 http://www.kiminoi.co.jp/

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