子どもの頃一度だったか?、この界わいにはイタリヤ料理の店とか、色々な料理を出すお店が並んでいるんだナーと、親に連れられ、歩いたのを覚えている。
戦争も終わり、この町も活気を取り戻していたのだろう。その佇まいも、また一軒減り、店じまいする店も増えるご時世だが、昔を思い出す佇まいも、まだまだ歴然と残っている。
女将さんの話だと、昔は肉屋さんだったそうだが、そこを閉め創業は昭和10年だそうだ。
親に連れられ一度だったか、親の家業を継いだ二十歳代に一度だったか、ここで、すき焼きを頂いた事がある。
ある愛好家の集まりで、お部屋だけをお借りして数度お邪魔した事もあった。
若い時には、この界わいも友人と飲み明かした事もあったが、今となっては懐かしい思い出である。
ある連絡会議・懇親会(忘年会)の案内が届いていて、会場が「すき焼き〇〇」とある。
懐かしいですネー。午後5時からの会合でその道を行くと「すき焼き〇〇」の大きな看板が目に入る。
戸をあけると誰も居ない。アレ?と思ったのだが、額入り障子越しに宴席のテーブルが見える。ハテ会議は別のところか?と思いきや、もうお一方が来られ「誰も居ませんね」と、そんな会話を交わしている所に、お店の方が来られ、2階へどうぞと言う。アレ?階段が無い、外へ出てもう一軒隣へ。
アッそうそう、〇〇と云えばこの佇まい、しかし私も相当ボケたんですね。
さっき訪ねた、大きな看板の下は、新しく部屋数が増えた所だった。
足を止め軒先を見れば、当時は意を張らず小さな看板がシンプルに掲げられていた。
女将が来て鍋の用意をしてくれる時、顔を見て「久しぶりだね」の声がかかる。我が同業者の集まりで、ここですき焼きでなく、御膳で一献傾けたこともあった、もう何十年も前の話である。
「某銀行だったけ?」と投げかけられ、な~んだ人違いかとも思ったが、色々話も進み、この間、元同業者の〇〇さんが来られたの話を聞いて、「お元気でしたか?」と話も進む。
鍋に牛脂を入れ、肉を敷いて割下をかけ、まず最初の一枚は、肉の味をタマゴに付け味わい、それから野菜や具材を入れる様な思いだったが、人数も多いか、野菜の上に肉が載っている。
すき焼きの食べ方も色々有るのだろう、コレと云ったしきたりがある訳ではない。
昨日は久々に皆さんと、会話も酒もすすみ、いい交流の場で御座いました。