「原爆投下から70年 ヒロシマ原爆展」が先の日曜日まで、当地で開かれていて、家内と見て参りました。
平和祈念資料館までは足を運んだ事が無く、当地に居ながら被爆資料や寄贈された遺品の数々を目にする事が出来、いい機会で御座いました。
昨年は雨の降る中、 広島平和記念式典に参加された、市内各中学校の生徒代表者の感想文が、大きなパネルに顔写真入りで展示されていて10代の少年、少女のそれぞれの思いが語られていました。
原爆被害の特徴は、大量破壊・大量殺りくが瞬間的・無差別的に引き起こされ、放射線による後傷害は、いつ発症するかの不安とともに長期間被爆者を苦しめる。
高度約600mで原爆が爆発すると、爆発の中心はセ氏100万度以上の高温となり、爆心地の中心にいた人は瞬時に黒焦げになった。
原爆投下日、広島死亡者数、約14万人(当時市内にいた人:約35万人) 長崎死亡者数、約7.4万人(当時市内にいた人:約24万人)
只一発の爆弾で、無作為に民間人への攻撃を禁じたジュネーブ条約と国際法に違反する事をやっておきながら未だに米国から謝罪が無い。
ジュネーブ条約では戦闘によって意識的に非戦闘員を殺してはならぬとありますが、アメリカの原爆投下は一瞬にして21万人を超す日本人を殺戮してしまったのです。
戦後10年…原爆投下に対して抗議文書を送っていた政府は、何故にスタンスを転換させてしまったのか。
どうも日本と云う国は世界の常識とは違い、内に仕舞い込む事が多く、他国の非を突きませんね。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」
主語がはっきりせず、まるで日本人が「原爆を落とされる様な悪いことはもうしません」と言っているかのように読める。
実際、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事が広島を訪れた際にこの碑文を知り、「過ちは誰の行為を指しているのか。原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である」と憤ったエピソードはよく知られている。
当時の事柄を展示しているパネルの中に、目をひく一枚があった。そこには、「助けてあげられなくてごめんなさい」と、大きく記されていた。
◇8月6日 午前10時30分ごろ (爆心地から1.2km)
「下敷きになった子供を救助できないまま、校舎は火災に包まれました。ほおずりをしてあげられるほど、体はほとんど外に出ているのに、片腕が柱と柱に押しつぶされてひきだせなかったのです。『もうすぐ楽になるからね』といって手をあわせました。」
現状を見つめ合う戦争におかれた、子と大人の覚悟が伝わってくる。
写真はレプリカだが、展示している被爆資料の中に、当時の体験談を、寄贈されたスケッチの描かれた手記があった。